「金田一耕助の新たな挑戦」読みました

平成8年(1996年)カドカワノベルズにて発行の金田一耕助アンソロジー。
作者たちは横溝正史賞受賞の作家たち。

以下、犯人については触れていませんがややネタバレを含みます。

『笑う生首』亜木冬彦(第12回 特別賞受賞)
昭和36年の軽井沢 『仮面舞踏会』の2年後、日比野警部補の奮闘の物語。
家政婦の外出中に別荘でマジックと古い武器の収集を趣味とする男とその妻が首を切断されて死んでいた。
男の首はギロチンで切られて机の上に、妻の首は中世ヨーロッパの古剣で切られて収納台の上に置かれていた。

トリックは奇術ミステリを読んだ人はタイトルで想像が付くだろう。とある横溝作品をオマージュとしているように見えて実は…というもの。
横溝作品(特に人形佐七)を読んでいるとある人物の心理がわかる気がする。

 

『生きていた死者』姉小路祐(第11回受賞)
昭和21年の大阪 『本陣殺人事件』登場の木村刑事の兄である、同じ刑事の木村の視点。
大阪駅で男女が口論をし、女が男を突き飛ばした。線路上に転落した男は電車に跳ねられた。
彼は自分で転んだ。女のことは知らないと言い張り、杉本一郎という名と住所を告げて死んだ。
該当の住所近辺は大空襲で焼けた跡。そこに住む人たちは杉本というものは住んでいないという。
警察に弔いのために呼ばれた若い僧侶は男を「幼馴染の井上忠三」だという。
木村刑事は昭和20年3月の空襲で井上忠三の死を確認していた。

松本清張や二階堂黎人の作品で読んだことがある「新たな人生」もの。
忠三は何故死んだのか。金田一の最後の一言が2024年2月の今聞くと重い。

 

『金田一耕助帰国す』五十嵐均(第14回受賞)
1995年 ロサンジェルスから東京へのジャンボジェット機内 トイレで東洋人の男が胸を刺されて死んでいた。
ダイイングメッセージと思われる文字を残して。
金田一耕助を自称する男は1938年5月5日生まれの57歳で盛岡に親戚がいる。

すると終戦時は7歳だったことになるのだが???
本の裏表紙の紹介文には「ナント現代まで生きのび、八十歳で事件に遭遇する金田一耕助」とあるが、1995年設定で金田一がリアルに登場するのはこの作品のみ。
20歳以上年齢を詐称しているのだろうか???

 

『本人殺人事件』霞流一(第14回佳作受賞)
推理作家の霞流一は横溝正史賞大賞受賞者のみに与えられる金田一耕助のブロンズ像を受賞作家の家から持ちだしたが盗んではいないと言い張っている。編集者の菊田一郎は15年前のある出来事を語る。
1980年2月4日岡山県W郡H村の久保鉄雄の屋敷にて。鉄雄は久保銀造の次男で金田一をひいきにしている。
金田一の探偵魂を讃える「金魂館(きんこんかん)」を作ることを決意し、その制作発表パーティに菊田はやってきた。
翌年新設の横溝正史賞記念品の金田一像の試作品を持参してきたのだ。
パーティには犬神佐清やおりん婆さん、『獄門島』の釣鐘のはりぼてといった横溝キャラクターのコスプレをした道化役が何人かいた。
その夜、イベントプロデューサーの折坂が殺された。彼は死ぬ間際に金田一像(試作品なので石膏製)を粉々に壊していた。

「金田一の罪」が語られる。全体的にギャグ色が強い。
この時期から釣鐘のコスプレという発想はあったのかと感じた。

 

『萩狂乱』斎藤澪(第1回受賞)
昭和11年10月東京 仙台からやってきた新聞記者の女性香川キクが金田一、風間俊六と共に手首と足首を切断された女の変死体の謎を追う。
金田一の遠縁の叔母の女流版画家相沢茉莉子は金田一にお見合いをさせていい嫁を迎えようと必死。金田一は見合い相手が黒猫のタマを粗雑に扱ったのが気に入らず断って言い争う。

この時期の金田一は小日向台町(現在の文京区小日向2丁目)の粋な借家に住んでいたらしい。
茉莉子の存在といい、キクの大活躍といい、パスティーシュというよりもオリジナル要素がとても強い。

 

『金田一耕助最後の事件』柴田よしき(第15回受賞)
1973年秋東京 病院坂の事件を解決した金田一は虚しさの中、3日後には日本を離れる予定だった。
27年前の昭和21年に瀬戸内海の島で出会った女性のことを思い出し、一目逢いたいという気持ちと、彼女との別れの際に二度と目にかかることはないと言われたことは彼女の誓いであり、それを守らねばという気持ちを感じていた。
そこに千光寺の了沢が助けを求めに訪ねてくる。
金田一は日本を離れることを決めてから新聞を読まなくなっていたが、10日ほど前に報道された事件のことだった。
医師の山根悟の遺体が見つかり、彼の元恋人で他の男と婚約した磯野冴子が逮捕された。
冴子は獄門島出身で上京後に山根と恋をしたが、山根にとっては遊びだった。捨てられた冴子は島に戻り、鬼頭早苗の息子である一郎と婚約したのだ。そこに山根から手紙が届き、気は進まないが奥多摩の山荘で山根と会った。管理人の夫婦が冴子の悲鳴を聞いて駆けつけると冴子は血塗れで寝室には山根の死体があった。

金田一は山荘を訪れ、関係者の話を聞き、警察が気付かなかったあるものを見つけて真相に気付く。
大がかりなトリックなどはなくあっけないが、東京ものの短編にはこういうものもあるか。

『髑髏指南』服部まゆみ(第7回受賞)
昭和12年4月16日 新日報社の新米社会部記者である六津木俊夫は金田一の大学時代の友人だった。
帝国ホテルのロビーで久しぶりの再会の待ち合わせをしていたが金田一は遅れてきた。
「金田一!」と声をあげるとロビーにいた金髪の外国人女性が「彼が金田一ですか?」と問いかけ、うなずくと彼女は「キンガイチコースケ先生ですね」と包みを押し付けて走り去った。金田一は彼女を知らず、アメリカで会った記憶もない。包みの中身は人間の頭蓋骨だった。
アイヌ、小金井良精教授(森鴎外の妹・喜美子の夫)、そして「もうひとりの金田一」が絡む。
六津木は数字が半分である記者キャラクターのパロディだろう。
金田一耕助は名探偵としての大活躍はしない。髑髏も不気味なアイテムというわけではなく、真の名探偵は小金井教授だった。
若き日にはこういったこともあったかもしれない。

『私が暴いた殺人』羽場博行(第12回受賞)
アメリカ、ロスにて60過ぎの白髪となった金田一はある事件について依頼を受けた。
日本とアメリカで活躍をするインテリアデザイナーの「私」の妻、由利絵は2か月前の日本での喧嘩の後、家を出てロスの「私」のアパートに落ち着いた。そして日系人のデザイナー井上がアパートに出入りしていると5日前に聞いた。
アメリカにおける「私」の顧問弁護士と井上が談判をはじめたその日に由利絵は失踪した。妻の捜索について「私」は現地事務所の佐々木に探偵を雇えと指示し、金田一が来たのだ。
井上は独立を考えていたが資金がなく、由利絵の援助を願っていた。
「私」も六年前、由利絵と結婚したときに彼女の父親から金を出させた。父親は二年前に死に、彼女は膨大な財産を相続している。
だが「私」は数時間前にロスに着いたばかり。

金田一が事件の依頼を受けた理由は終盤で明かされる。
あることを調べるために容疑者に罠を仕掛ける。アンフェアではあるが名探偵あるあるなこと。

『陪審法廷―消失した死体』藤村耕造(第15回佳作)
昭和13年横浜 料亭の女主人笹沢志乃の死体が上杉隆三(大学学長)の家で発見された。志乃が上杉の愛人であることは公然の秘密。発見者は執事の飯田。客として訪れた金田一に玄関の見張りを頼んで巡査を迎えに行き、戻ってきたら志乃の死体はない。
翌日、大岡川に浮かぶ死体が発見された。上杉は湯河原に行っていて不在。警察は運転手の新井を拷問して自白の調書を取った。
陪審裁判が開かれることになり、金田一も出廷することになった。
この時期の金田一は前年の岡山での「本陣殺人事件」と呼ばれた事件を解決したことによって注目を集めていた。

「消失した死体」というよりは「歩いた死体」の話。警察と法廷は悪役として描かれている。
作者は弁護士との兼業作家であり、陪審裁判は戦前には日本でも実際に行われていた。
「50前後の苦労人に見える」関西弁で話す陪審員は特定の人物を指しているのだろうが思いつかない。

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